My Philosophy.

全く手を付けていなかったブログだが漸く更新しようという気分になったので更新する。
これからは出来る限りブログを更新していく予定だ。
言ってしまったからには。。。頑張るしかないね。


この3カ月ぐらい、自分自身の哲学はどの様なものかをすごく悩んでいた。
正確には、それで自分としては納得するのか、外部的な説明性を如何つけるのかに悩み続けていた。
そして、出来れば、私の好きな哲学者の哲学に近いものがあればいいのにと思っていた。
そうしたら。。。あった。
どうやら、私にとって、世界で大事な哲学は5つしかないらしい。


1.私は何も知らない。無知の知ソクラテスプラトン
2.それでも私は、私が存在している事だけは知っている。(コギトエルゴスム:デカルト
3.そして、外部要件・外部要因に確実で信頼性のおけるものは何一つ存在しない。(絶対唯一神としての神は死んだ!:ニーチェ
4.それでも私たちは、自分自身の存在を規定するために、表現し続けなければならない。(およそ語りえる事は明晰に語りえる、論じえない事については沈黙しなければならない:ウィトゲンシュタイン


何のことはない。
私の好きな4人の哲学者によって、私の中の哲学の外部説明性が出来上がっていたのだ。
そうしたうえで、私の哲学を端的に言うのならば、以下のようになる。


5.Life is Art. Art is Life.
(人は自らを表現せずには生きていれないし、表現そのものがその人自身の世界を創り上げる)


これに気が付いた時は本当に何か安心した。
私の哲学の方向性は間違っていなかったんだと思った。
これで世界のすべてが過不足なく説明できたとは到底思えないが、少なくとも、人に提供できるレベルにはなった。
当然私は、この4人のほかにも好きな哲学者や惹かれる哲学者はいる。
例えば、ハイデガーは重厚で重層的で難解ではあるが、あれはかなり読みごたえがある。
ショーペンハウアーの世界観はとても広くて好きだし、アダム・スミス道徳感情論は納得できるところが多い。
東洋に至っては、老荘思想はとてもとても私の発想に親和性があって読んでて楽だし、儒学の良いところも知っている。


でも、その中でもかなり偏って好きだった4人の哲学者を並べてみたら、外部説明性になってしまったのは、拍子抜けもしたし驚いた。
ただ、やはり、彼らが歴史を作った哲学者であると私が評価している理由もわかった。
ただただ、納得した。


Life is Art. Art is Life.
我々は、表現し、創り出す。
人生にArtを。