11月14日「東証一部上場の前提である右肩上がりに対する疑問」

まずは、このTogetterを読んで欲しい。
http://togetter.com/li/68935


これは、11月14日(日)にTwitter上で交わした意見交換である。
東証一部上場の条件の一つに「必ず右肩上がりでなければならない」というモノがある。
これに関しての疑問とそれらのレスポンスをまとめてみた。
非常にしっかりした対話となったと思う。相手をしてくださった方には心からの感謝を述べたい。


さて、ここにもあるように、私は「サスティナビリティ(持続可能性)」に関して非常に強い関心をもっている。
我々はどこへ向かうのか?という疑問は10年以上も私の頭の中に巣食っている疑問なのだ。
その1つとしての「サスティナビリティ」は非常に興味深い。
ちなみに、この話をする際にいつも気になるのは「持続可能性」という日本語訳である。
これは非常に重要なイメージを喚起するような言葉であるので、違う表現の方がいいのでは無いか?といつも思っている。
例えば。。。そうだな。。。「継続性及び安定性について」あたりか?
ちなみに、これは、現在の「環境問題」の議論での流れを受けている。
現行、環境問題は地球温暖化などの目に見える「脅威」に対する方策ではなく、もっと根本的な「資源とエネルギーの安定供給」という高次の視点に移っている。
ただ、この議論・議題は根本的な問いであるため、様々に解釈される。
この安定供給のためには何をそれぞれの国家がしなければならないか?という視点で見ると、多くの場合「現行の状態が続くという条件」であるために、例えば、発展途上国は一生発展途上国という様な条件も続いていってしまうのではないか?という様な懸念も生じてくる非常に繊細な議論である。


さて、この議論に戻るのだが、私が言いたい事は最後のTweetに全て要約されている。
現行の閉塞感や絶望感などを打ち砕くための「仮説」や「条件」や「論点」を導き出すために、「常識や前提を疑う必要がある」のである。
ちなみに、私は「反資本主義論者」ではない。
資本主義は未曾有の繁栄を人類にもたらした。
人類は、もはや地球上で人類を絶滅されるような他の種族は存在し得ないほどにまで繁栄している。
これは、種のサバイバル的な視点で見れば諸手を挙げて歓迎されてしかるべき状況である。
ただ。。。ただである。
現在の閉塞感や絶望感はいったいなんなのだろうか?
我々は、我々を繁栄せしめた「システム」に繁栄を脅かされているのではなかろうか?
我々にとって常識である事は、100年前や500年前には常識ではなかった。
常識とはその時代時代によって「規定」されるものである。外部から与えられるものではない。
常識とは人工物である。人工物にミスや老朽・衰退はつきものである。
我々が信奉している「常識」は果たして「耐久年数」は過ぎていないか?
根本に立ち返って疑問を呈していく必要があるのではなかろうか?


「500年前の常識は、現在の非常識」