そして4か月が過ぎた。

7月11日をもって4か月が過ぎた。
我々はいったい何をしているのだろう。
4か月間一向に終息宣言の出ない事故。
そんな事故は、人類史上なかった。
我々は何をしてきたのか?そして何が出来たのか、出来なかったのか。


今、節電が騒がれている。
我々は何をしているのだろう?
多くの人が蒙昧に冷房の設定温度を上げ、電気を消し、エレベーターやエスカレーターの半分程度を止めるようにしている。
それは望まれたことなのだろうか?
誰が望んだことなのだろうか?


ほぼすべての権力による行動規範統制は「誰かがしたいから」やるのである。
しかし、「誰かがしたいから」やるというのは、問題の解決には繋がらない。
「したいから」ではなく、「しなければならないから」でなければならない。
それこそが不断な改革を生む上での基本的なスタンスなのだ。


翻って、原発終息事故に関してはしなければならないのである。
誰の目にも明らかである。
そして節電はしなければならないのだろうか。
これは議論が分かれる。


私としては、そもそもなぜ電気をそんなに使うのか?に視点を移してほしかった。
そうしたら、例えば
「商業用ビルの外装を全て白く塗る」
「出来るだけ白色灯を使用する(黄色い光を見ると人間はその場所を暑い場所であると認知しやすくなる)」
「10年以上エアコンを取り替えていない商業用ビルに対し、最新の業務用エアコンを提供する」
等という違ったアプローチも考えられたはずだ。
そんな馬鹿なと思うかもしれないが、私からしたらそれと同様に節電も馬鹿な事である。
あまりにも工夫がなく、ただただ「大変なんだから我慢だ!」と言っているに過ぎない。
「欲しがりません、勝つまでは」というスローガンが生み出したものを忘れたのであろうか?


人間は様々なアイディアを駆使する事で、この自然界を生き延びてきた。
この様な「電気が足りない=節電」という、何も頭を使っていないと思われるスローガンは、ただのサボりではないか?
何が必要で何が必要でないのか?
また、何がキーポイントになっているのか?
もう一度最初からやり直す必要があるのではないか、と思う。
我々は思考をサボっていないだろうか?