ガラパゴスと言う言葉の意味。

現在日本を内部批判する際に必ず使われている言葉がある。
それは「ガラパゴス」である。


日本は極めて特殊な環境で発展してきたと言われている。
そして、その結果、生まれてくるプロダクトの多くは、対外的には受け入れられないものであったり、オーバースペックだったりするのである。
ガラパゴスの最たる例は携帯電話であるといわれている。
確かに、カメラがついている携帯電話など、ほかの国で売れるはずがない。
また、そんなにメールしなくても問題はないと言われているし、デコメールとか何が凄いのかわからないという意見も多いようだ。


ガラパゴスはどうして起こってしまったのだろうか?
そして、それは本当にいけないことなのだろうか?


私はガラパゴスが起こってしまった理由の1つに内需拡大政策」があるように思える。
日本は高度経済成長期に内需の拡大を以って経済成長を成功させたのである。
それは「所得倍増計画」に端を発しており、また現在の多くの政府が出す発表や経済政策の中にも必ず「内需拡大」という言葉が入ってくる。
私はそれこそが、ガラパゴスを助長させたと思っている。


しかし、内需拡大政策にだけ関して言えば否定する人は少ないのではないだろうか?
内需の拡大による、国民の平均所得ならびにその中央値が向上することは、国力を高め、外国の景気動向に左右されることなく安定した成長が望める。
また、所得の向上に伴う、自国内の貧困率の低下や進学率の増加等を鑑みれば、批判することは不可能ですら思える。
その政策がガラパゴスを生んだのではないかと思える。


ちなみに、私はガラパゴスに関しては何ら否定的ではない。
むしろ、程よく特化させることによって、更なる発展と拡大の可能性を十分に残しているのではないかとすら考えている。


さて、ここで面白い事がある。
BRICSの5カ国のうち、ブラジルは明らかに内需拡大を前提とした発展をしているのである。
一方、中国に関しては明らかに外需ベースの拡大が主である。
それは、ブラジルの現行政府の基本方針が国内の貧困率を下げる事、またそのために初等教育の拡充と健康診断の完備に全力を挙げていることから容易に推察できる。
一方、中国において初等教育の拡充や国内貧困率の低下等が主眼となっているような方針というのはあまり聞いたことがない。


今後、ブラジルと中国は更なる発展を遂げることは間違いないと考えられる。
そうした中で、果たして内需拡大政策と外需拡大政策、どちらがより安定的にまたより持続性を持っているのか?という議論は極めて示唆に富んでいる。
その議論の中で、内需拡大政策の上でガラパゴス化してしまった日本という視点は大いに参考となるだろう。


ガラパゴスが果たして良いのか悪いのか。
その様な1か0かの様な議論の前に、もう一度ガラパゴス自体を見つめなおす必要が日本にはあると私は考えている。