市民ファンドの可能性。

実は、前々回から続くNPOで働く人々に関しての話は3部作になっているのだった
さて、今回は、その問題に対する、私からの1つの代案である。
重要な点はこれが解決策ではなく、代案であるという事である。
そして、そのシステムとは、題名の通り、市民ファンドである。


市民ファンドとは何か?
それは、小口の投資を広く多くの人から集め、それを元手に様々な事業体を作ることに他ならない。
その投資に対し、ある程度のインセンティブ(主に高金利をつける)をつける事で、株式を購入すると言う点よりも遥かに有利な点で取引できるというものである。
だが、投資と呼ばれていることからもわかるように、100%そのインセンティブがくるかわからない。
最悪な状態では元手を割る可能性が出てくる。


とはいえ、この事業体システムを利用している事例は徐々に増えているようだ。
それぞれに問題は抱えているのもまた事実である。
というのも、この市民ファンドとは、多くの場合、なかなか利益に結びつかないような事業のスタートアップや、その事業から利益が生まれるまでの人件費をカバーするという視点があるからである。
そもそも、もし簡単に利益が上げられるような事業を行うのであれば、この様なファンドというちょっと面倒な資金集めをするよりか、銀行等の金融機関からお金を借りて株式会社を設立したほうが圧倒的に楽である。


しかし、今まで議論してきたように、株式会社と政府だけでは社会システムの保管は出来なくなってきている。
そのため、NPONGO社会起業家などのステークホルダーの力が必要不可欠になりつつある。
さらに、日本だけではなく全世界的に先進国の政府は、慢性的な財政赤字に悩まされており、また、先進国の主要な大企業も経営的に問題が出てきているところも多く、M&A等の業界のリストラクチャリングなどをすることによって、赤字解消に取り組んでいる。
今後、さらに政府や株式会社ができる範囲は狭まっていく。
逆に言えば、ニッチな市場が大きくなっていくため、ここの隙間を埋めるような、NPONGO・社会起業などは数多くなっていくはずだ。


その際の、利益や拡大再生産がなされるまでの「デス・バレー」を超える手段として市民ファンドを提案する。
これは、十分に可能性のあることだ。
多くの先進国の人々は「自分達のお金が意義あるものに使われているのか知りたがって」いる。
この需要に応える様な、NPO等の非営利組織を助けるための市民ファンドならば、更なる「幸せの総和」の拡張につながるはずだ。
このとき、注意しなければならないのは、その市民ファンドは絶対に「小さな投資家」達の善意を踏みにじってはならないということだ。
確かに、「小さな投資家」達にとっては半分寄付ぐらいの感覚での投資かもしれない。
しかし、それでも、相手が1人の「投資家」である事を否定してはならないのだ。


コトラーは言っている。「次に来る世界は信用が最大の通貨である」と。
そう、この信用を傷つけては決してならない。
NPO達の善意と「小さな投資家」達の善意を結ぶ「市民ファンド」という"信用通貨"こそ、豊かな社会を形作るものであると私は信じている。