NPOの抱える低賃金の闇

前回はNPOの低賃金の問題を提起した。
この問題は、多くの点で、問題になっているが、日本の場合はそれが遥かに深刻であると言われている。


しかも、日本の場合は問題がダイレクトに見える形で浮かび上がってくる。
日本の多くのNPO社会起業家には女性が極めて多いと言われている。
これは、才能・能力の高い女性が第一線で活躍しているという点で、心より素晴らしいと思うが、それと同時に、「男性の寿退社」という問題も抱えているのだ。
つまり、NPOや社会起業と言われる低賃金を余儀なくされる仕事に就いていては、十分に子供や家庭を作る事が出来ないのである。
これは極めて重大な問題なのだ。


ここにいたって、未だに「自分で選択した道なのだから仕方ない」と発言する人は極めて多い。
確かに「低賃金でも構わない、私は私のしたい事をする!」という人々に対して何故サポートをしなければならないのかと考えたくなる気持ちは私も良くわかる。
ところがである。
現在のところ、欧米だけでなく日本のNPOの影響力はかなり大きなものになってきているのだ。
そして、彼らのやっていることのほとんどが、極めて意義のあることである。
しかも、政府や株式会社では十分にその分野にサービスを与えることは不可能だろう。
例えば、高校をドロップアウトしてしまった10半ばの青年たちをもう一度高校へ行かせ、職業訓練の後に社会に出すと言うのは、実は現在の社会人にとっても税金を払う人間が1人増えると言う点で極めて社会的意義のあることである。
また、例えば、性的サービス従事者たちの社会復帰という問題も同様に、生活保護を受ける人間の数を減らし、1人でも真っ当な人として自律して歩むためのプログラムなど、果たして政府や株式会社に出来ることなのだろうか?
我々は多くの点で、彼らから利益を受けているのである。
そして、彼らの活動を前提とした社会システムが、現在欠落したコミュニティの中で形作られている。
これは、夢物語ではない、真実の一部である。


この様な状態の中で、しかしながら、多くのとりわけ男性が、自分の家族を養うために、最も働き盛りである30〜40代でNPOを辞めざるを得ない状況が続いているのだ。
その結果として、有意義な活動をしている多くのNPOが、その人材の流出に打ち勝つ事が出来ず、規模を縮小したり場合によっては解散に追い込まれているのが現状である。


彼らに何が出来るのか?と言われると、正直私にその力はない。
ただ、少なくとも、NPOであろうが、彼らのやっている事は十分に賃金を得て、その賃金で自分達の幸せを確立する権利を付与されるに値する行動なのである。
どうか、彼らが賃金を得ていても糾弾しないで欲しい。
彼らは社会を幸せにするために行動している。
しかし、その行動の結果、彼らが幸せを得られないのであれば、その社会は何なのだろうか?
彼らは身を削って、今ある社会に少しの希望と幸せを提供しようとしている。
その彼ら個人の幸せを確立するための賃金を否定することはあってはならないのである。