NPOという「職場」。

NPO
「Nonprofit Organization」又は「Not-for-Profit Organization」の略で、広義では非営利団体のこと。
狭義では、非営利での社会貢献活動や慈善活動を行う市民団体のこと。
この団体の可能性は極めて大きいと私は考えている。


その可能性に関しては、ドラッカーコトラーだけではなく、例えばアルマティア・センやグラミンなども注目していたコミュニティの形である。
私は人間が持つ善意の最大の形の1つであると考えている。
ただ、日本においては重大な問題がそこに孕んでいる。
それは、彼らの給料の問題に他ならない。


非営利団体という名前だけあって多くの人がボランティアや無償労働とほぼ同義に捉えている。
しかし、その実態は異なっている。
確かに非営利であるが重要なのは「利がなくても問題ない」なのではなく、「利益が最優先課題ではない」という事なのだ。
これは、「利益の追求」が第一義的条件とされる、株式会社とは決定的に違っている。
(これに関しては暴論であるという主張もなされているが、私は例えば日本において一部上場を維持する最大条件が、右肩上がりに利益を出すこととされているという事実をもって、この主張をさせていただく)
そうした際に、いつも議論になるのは、「この様な活動をする人の給料を誰が払ってくれる(保障してくれる)のか?」という点である。
これは、様々な部分でいびつな形となって現れている。日本だけではない。
例えば、東日本大震災に対しての募金活動や寄付金活動でも同じような問題がなされた。
何故、寄付金全てが現地に落ちないのか?という議論である。
これに関しては当たり前すぎることである。
誰が運ぶというのだろうか?運ぶ際の手続きにお金がかからないとでも言うのだろうか?


この様に、NPOはそのポテンシャルはきわめて高いものの、どうしてもお金という面での制約を強く受ける。
私は、株式会社がどうしても出来ないことややりたくない事をしてくれる、社会システムの補完財として彼らの可能性を強く信じている。
しかし、株式会社がやりたくないと言うのは単純に言って「お金にならないから」である。
そういう点で、そもそもNPOとは「お金にならないこと」をやっている団体なのである。


しかし、もし、賃金というものが、社会に対する奉仕と引き換えに与えられるものであるならば、またもし社会をより良くしている人たちに対する報酬であるのなら、彼らは十分に賃金を与えられるべき存在であると思う。
今の状況では、彼らの行動に対して我々はフリーライドしているような状況である。
彼らを救うべくの社会システムはどの様に生み出されるのだろうか。