「穢れ」を払う「禊」

日本がおかしい。そう感じている人が多いのではないだろうか?
福島での原発事故以来、様々な事が不安定になっている。


デモが始まっている。
人が政治に声を上げている姿をはじめてみる人も多いのではないだろうか?
更にフジテレビの問題や、なでしこジャパンの問題など、数多くの"問題"が一挙に噴出している。


実は、この様な問題は突然表れたものではない。
徐々に溜まってきたストレスのマグマがこうした動きとして一挙に吹き出ているのだ。
今後、更に様々な問題が噴出し、色々なところで不安定さが増していく事になるだろう。
しかし、私は思うのだ。
本当に問題を認識しているのか?と。


というのも、メディアに出てくる有識者の声はいつも議論とは少しズレたところを論点として挙げている。
また、デモに参加している人々も何故デモに参加しているのかという動機があまり感じられない。
騒いでいるから騒ぐ。それでは何も変化は無い。


私は、日本人は極めて敬虔深く、心のそこには宗教心があるといつも考えている。
今回のたくさんの問題は、私からするとどうも今までの日本人にしては性急過ぎると思っている。
これは、不況の影響で多くの人たちに余裕がなくなってきて、その不満の噴出場所を多くの人が探しているというのが、最も理解し易く一般的で、かつ説得力のあるものだろう。
私もこの意見には大部分で賛成である。


だが、どうも、これだけが理由ではないような気がする。
もう少し精神的な部分で日本人はストレスを抱えているような気がするのだ。
私は、これは何か文献があるとかではないが、放射能によって日本が「穢れ」たからという発想を少し持ち出してみようと思う。
日本人は非常に「穢れ」を嫌う。忌み嫌う。
穢れにとりつかれたモノは、「禊」が必要である。
基本的に日本人の人やモノの評価は、この「穢れ」と「禊」で大体説明がつく。


実は、福島の原発事故という「穢れ」に対して、誰一人「禊」を行っていないのである。
何か問題が発生した時に、我々は「責任を取ってやめろ!」とよく叫ぶ。
これは、実は「穢れ」に対して、誰か御上に対して「禊」を行え!と言っているに他ならない。
極めて宗教的な文化が我々の精神世界には内在しているのである。
翻って、今回の福島原発事故は誰も「禊」を行っていないが故に、日本から「穢れ」を払えないでいる。
あの時、最も簡単な「禊」は間違いなく、東電を倒産させる事であった。
しかし、それが出来ずにズルズル来てしまったがために、誰も「禊」が行えない不安定な状況になっているのである。


その不安定さゆえに、日本人全体がストレスフルな状態になっているのではないだろうか?