「ソーシャル・アタッチメント(Social Attachment)」という発想について。

ノマドという言葉が流行っている。
いつごろから流行りだしたのかは良くわからない。
原義としては遊牧民のようなイメージだそうである。
ネットに代表されるようなソーシャルネットワークを活用しつつ、ビジネスの合間を縫う形で生きるスタイルである。
それは、「フリーな生き方」として絶賛されており、数も増えているという。
実際、私の周りにも私自身を含め、個人事業主フリーランスの様な仕事スタイルをとっている人が増えてきたように思える。
しかし、今までのフリーランスとも異なり、更に行動力を増した形で、契約にそれほど縛られる事なく生きていくスタイルがノマドのようだ。


この形態は正に原義の遊牧民に近い。
非常に流動的であり、また非常に不安定である故に、非常に個性的でもある。
若い人の中にもこの様な働き方に憧れを持つ人も多いのだろう。
これは、逆に言えば雇われ人・サラリーマンの窮屈さの裏返しでもある。
時に、"過労死"という言葉に代表されるような猛烈な働き方を強制されたりもする。
そうではなくて、自分が生きていければそれで良い、自分の稼ぎがあれば良いという個人主義的な発想である。
私はこの思想には一部賛成意見である。
選択肢が増える事は、幸せになる人を増やしていると思うからである。


一方でこの働き方は極めて能力の高さが要求されることは明らかである。
更に、ある一定の分野に限るのではないかとすら考えている。
デザイナーやプログラマーといって手に職系が多いのではないだろうか?
又は、ライターに近い形の働き方をしている人たちもいる。
なんにせよ、遊牧民ゆえに、自分の食い扶持は言葉通り自分で稼ぎ出す必要がある。


この様な流れを受け入れるような形で、むしろ社会が変化してきているとこの頃感じる事がある。
プロジェクトベースのチーム形成がそこかしこで見られるのである。
その中である種の専門家として、色々な人がそこに参加しているのだ。


私はこの様なフリーランス達が次に来るステージを「Social Attachment」と呼びたい。
すなわち「社会に対して、"自らの意志で"参加したりしなかったりするスタイル」という意味である。
アタッチメントには付属品という意味がある。
社会の付属品として、"主体的に"生きるというものである。
これは、ノマドともまた少し異なっている。
ノマド遊牧民であり、彼らは彼らのテリトリーの中で生活していく事になる。
しかし、「Social Attachment」達はその様なテリトリーを形成するのではなく、既存の社会と繋がっている事が前提だ。
その上で、その社会との距離を上手く自律的にコントロールするのである。
時には、その社会とベッタリくっ付いて仕事をする事もあれば、終わったら、少し社会から消えてしまう事もできる。
この様な自律を前提とした行動規範が生まれるのではないだろうか?


新しい動きは当然困難な事も多いだろう。
しかし、この様な働き方は現実に既に起こっていると私は思う。
より多くのプロジェクトベースの案件が世の中に浸透し、しかもそれが株式会社という内向きの発想だけでは解決できない問題を抱えているのならば尚更である。
更に、非株式会社であるからわかる事も多いだろう。
株式会社や政府だけでは社会が成り立たなくなっている事は周知の通りである。


「Social Attachment」
ノマドに続く変化の奔流は勢いを止める事を知らないようだ。