ネットの活動家が得たもの。

TwitterSNSの監視法律が出来るのではないかと多くの人がヤキモキしているようだ。
これを「コンピュータ監視法」と呼ぶ。
1月の段階で法案が成立していて、知っている人はこの時からかなり強く意識していたようだ。
それが4月11日に閣議決定されたもので、実はすでに「コンピュータ監視法案」(情報処理の高度化等に対処するための刑法等の一部を改正する法律案)が6月17日可決成立している。
この問題に対して、震災やその後の原発関連のドサクサによって多くの大手メディアやジャーナリストはこの法案にかまけている暇はなかったようである。


これに関しては、インターネットの治安維持法とも言われている。
実際、やろうと思えば相当やりたい放題である。
法案の格子は以下の3つだ。
1、コンピュータ・ウイルスを作成・取得で罪になることもある。
2、捜査機関が裁判所の令状なしで証拠が保全できる。
3、ゲームやアニメなどを含むわいせつ物基準の広範化につながる。


この法案を作った人はかなりコンピュータについてよく知らないのだろう。
コンピュータ上にウィルスなど存在しない(悪意あるソフトウェアがあるだけである)。
ソフトウェアの作成に関してはどこまでの範囲を指すのかよくわからない(最悪Exeファイルが作れるメモ帳を開いただけで作成である)。
取得もよくわからない(最悪、メールサーバーのごみ箱に入っていても取得である)。
1ですらこの有様である。
ただ、この辺りは私が主張したいことではない。


ネットが現実を動かしうるのか?という議論は広範囲に広がっている。
ネットというツールが我々の行動を変化させているのは間違いない。
しかし、それを持って現実が動いたというのはなかなか難しい議論である。
ただ、この法案に関しては明らかにネットの活動家たちが得た1つの現実の変化だと私は思う。


なぜこの様な法律を作ったのか。あるいは作らざるを得なかったのか?
それは、現実がネット社会に恐れをなしたからである。
人間はある恐怖に対する最初の行動は2つに限られる。
1つが拒絶であり、もう1つが破壊である。
力が無いものはそこに目を向けないように拒絶する。
力があるものは、それの存在を認めない。破壊する。
多くの独裁者が、自分のライバルたちを暗殺し続けたのは、恐怖感だ。
その結果、そのライバルたちを破壊し殺したのである。
それとまさに一緒である。


つまり、この法律が出来上がった背景には、ネット社会の発言力や力が、弱いながらも現実を脅かす存在になりつつあるということ。
そして、それ故に、現実世界が恐れをなしてネット社会を破壊しに来たのだということ。
何のことはない、ネットの活動家・言論家が手に入れようとしてきた力を手に入れた証拠なのである。
ただ、非常に逆説的ではあるが。


この法律が果たして本当に力があるものなのか、ないものなのかに関しては、実はネット社会自体にかかっている。
この法律に負けた時にネット社会に力があったのだという証拠になる。
逆に言えば、この法律など「あっても無駄だ」と思わせるほど、今までと同じ活動をしていればいいのである。
無数の活動を1つの組織が上からの力でねじ伏せる事など不可能であることは歴史が証明してくれている。
ネット社会の言論の数はそれを大幅に上回る。
負けるはずがないのだ。正確に言えば、ネット社会において現実社会は「ネット社会に入り込んだ瞬間」に勝ち目がなくなるのだ。
もし、本気で現実社会がネット社会を破壊しようとしたいのであれば、すべてのサーバー管理会社のサーバーをブルドーザーで破壊すればいい。
そして、ネットワークを物理的に全てカッター等で切断すればいいのである。


なんにせよ、現実社会は勝ち目のないゲリラ戦に突入する事になる。
驚くべきことに、ネット社会は現実社会を変えているのである。