「その他」を意識しろ。

私が何かを整理するときに必ず考える事である。
多くの情報が転がっている場合、まずは表等を考えるだろう。
その時に私は必ず「その他」が生まれるように分類法を考える。


「その他」を認めることは、同時に全てを認めることに繋がるのである。
更に言えば、「その他」が無い表は疑ってかかるべきである。
なぜなら、その表は「その他」を作る必要が無いほど必要だと恣意的に決められた情報しか載っていない非常に独善に基づくモノであるか、もしくは「その他」を作れないほど情報を拾えなかった不備の多いモノの何れかであるからだ。


「その他」というジャンルが存在しない分類は実はない。
例えば、性別で考えよう。
男と女。それだけではない。
性同一性障害の人々がいる。これは間違いなく「その他」である。
血液型もそうだ。A・B・O・ABだけで出来上がっているわけではない。
「その他」があるのだ。
この様に、明らかにすっきり切れそうな分野においてすら「その他」は極めて大事である。
況や、煩雑な情報群の中で「その他」が必要ないジャンル等ありはしないのである。


更に分類する際に予め「その他」を作り上げる事で、すべてが丸く収まる事がある。
自分が気になる情報を全て「その他」に押し込んでおくことによって、当初予想していなかった分類法が浮かび上がってくるかもしれない。
1つ列や行を増やす事や、グラフの正確性を多角的視野から見直す際も、「その他」に入ってくる情報がかなり重要となってくる事は間違いない。


加えて、独立性や整合性を保つためにも「その他」は必要である。
どんな事柄においても、長所・短所があり、利益と不利益がある。
もし、ある事柄に対して長所を並べたいような状況であっても、「その他」に少しだけ否定形の言葉・情報を加味しておくだけで、その資料の独立性や整合性は格段に上がり、信頼性も付属されるだろう。
バランス感覚を持ってその資料を作り上げている事が読み取れるからである。


わからないものを整理するときは思い切って「その他」を作り上げる。
これが、バランス感覚を保ちながら、しかも思い切った修正も可能となる、最も効率的な分類法であると私は考えている。