オレの信じるお前を信じろ。

どこかで聞いたことがあるようなセリフだ。
これが、私の基本的なマネジメントスタイルである。
私自身を信じる必要はないし、また、相手も自分自身を信じる必要は無いと私は思っている。
なので、基本的にこれしかない。


これをやっていく上で最も重要な事は何かというと、「出来る限り好きなようにやらせる事」である。
自分が上司になったときに、部下に「私を信用しろ」というのは非常におこがましいといつも思っている。
私はそれほどまでに出来た人間でも、能力のある人間でもないと心より思っている。
ただ、何故か時流の流れなのかはわからないけれども、私がたまたま上司になってしまったわけだ。
上司になったのなら、残念ながら部下を統率する責任がある。
その際に私は決して「私を信じてやりなさい」とは言わないし、今までほとんど言った事が無い。
それ以上に、「別に私を信用しなくていいし、自分で自分のことを信用する必要もないが、仕事をする上で、私が信用している君自身を君が信頼できると気が楽だよ」と言っている。
実は、これは大学のサークルの時からの方針であった。


学生時代においては、たった1年の違いが、相当大きいものになっている事がある。
その1年とは、1/15であったり1/20だったりするのだ。5%〜10%の違いがあるということである。
これは明らかに大きすぎる。
元からある才能如何に関わらず、経験値という意味で、5%〜10%ゲタを履いているのである。
わずかに1年の違いでである。


このことに気がついたとき、私は1年先輩であるとかそういうものを一切信用しなくなった。
私の1コ下の後輩は、1年前の私より優れているし、1年後の後輩は現在の私よりか優れている。
毎日その様に思っていた。
しかし、残念ながら、この1年の違いが上下を決定する。
私はそれが、無性に腹立たしいとともに恥ずかしかった。


それ故に私はいつもこう考えている。
「私以上に、アナタ以上に、私が信用しているアナタをアナタが信用できたら素晴らしいよね」
全ての人間は他者の信用という燃料を投じて初めて、自分の描く未来や夢へ辿り着けるのである。