3.11以降。

3月11日以降、我々の、今まであった日常である日本は変わってしまったかのように言われている。
否、明らかに変わってしまった。


多くの人が平和を享受し、愛だけを歌っていればそれで良かった、戦後の戦い続けていた世界から隔離された存在としての日本。
正にそれは東洋の神秘であった。
黄金の国ジパング
多くの人が憧れ魅了されそして理想としたその国を、我々は700年以上の時を超えてその理想郷を作り上げてきたのかもしれない。
ユートピアいや、本当に何のレトリックなしにニュー・アトランティスだったのではなかっただろうか?


民主主義という統治制度を採用する限り、権力と被権力という関係は維持され、その上での闘争からは逃れられない。
その闘争という表現のみが自由を勝ち取るための唯一にして最高の手段であった。


振り返れば、エジプトの動乱があった。
私はあれを、「ヨーロッパおよびアメリカ合衆国以外の地域で始めて生み出された自由」と評価している。
権力に対して被権力が抗い、闘争を続け、初めて被権力が権力をねじ伏せる。
この「ねじ伏せる」権利を我々は“自由”と名付け賞賛した。
しかし、ヨーロッパとアメリカ以外の地域では人間は、“自由”という言葉に“懐けられ”、本当の意味での自由について手にする術すら知らなかったのだ。


ネットというソーシャルプラットフォームが生み出した、「市井の知識集団による新たな闘争の形」を経て、ヨーロッパ・アメリカ以外の地域で遂に“自由”が生まれたのであった。
エジプトで生まれた自由は、今までの自由とは異なる、エジプトの国民が生み出していく自由となるだろう。
それは、果たして自由と呼べるものなのか、それとも新しい言葉・解釈を生み出すことになるのかについては、まだまだ議論の余地がある。
私は、「エジプト型自由」という新しい概念が生み出され、そしてそれに新しい言葉が付与される事を願ってやまない。
新しい言葉は新しい可能性の塊である。
「エジプト型自由」は、停滞していた自由主義の世界に一石を投じる思想・運動・概念を生み出すはずである。
否、生み出さなければならない。
国民国家という視点からすれば、エジプトは自由を手に入れた、ヨーロッパ・アメリカ以外の始めての人民である。
つまり、初めてヨーロッパ・アメリカ以外の国家・国民が生まれたのである。


そしてその潮流は、エジプトからリビア・イタリアなどを経て、日本にやってきたのだった。地震という、外圧と共に。
我々日本人は初めて、政治というものに対して闘争を繰り広げるようになった。
確かに昔から、多くの人が政治に対して異議申し立てをしてきたのは事実だ。
1960年の学生闘争など持ち出す必要もなく、その後も無数の異議申し立てが日本人によって日本政府に対して行われてきた。


しかし、今日ほど日本政府に対して異議申し立てをしている環境はないのではなかったか。
もはやこれは、異議申し立てのレベルをはるかに超えているように見える。
そう、闘争である。しかも、「自由を得るための闘争」だ。
「自由を得るための闘争」の根本には「基本的人権」の中の「生存権」と「自由権」が深くかかわってくる。
とりわけ、我々日本人は3月11日以降、「生存権」を脅かされている。
生存権」は誰にでもある、最も重要なものであり、この権利を侵す全ての事柄は人類悪・社会悪であると私は強く糾弾する。
その「生存権」が脅かされている。
そう、福島第一原発を契機に。


我々の、人類のユートピアであった日本。
「自由」も何も近代国家システムを確立するための必要な要素を何一つ持ち合わせることなく、世界最強クラスの国になってしまった日本。
全ての国から、全ての文化から渇望され、期待され、愛され、嫉妬されたニュー・アトランティス
極東の誰も関心を持たなくても世界の大勢に全く影響を与えない、黄金の国ジパング


その国が初めて、「自由のための闘争」を繰り広げようとしている。
何故?もう一度、ニュー・アトランティスを再興するために。
全てが元通りになることはないだろう、それでも、我々はやらなければならない。
それは、ニュー・アトランティスを世界に生み出してしまった功罪に対する責任として。


日本に明日はない。
日本にあるのは、過去への郷愁と共に、そこから決別し、新しい明日を生み出すための第一歩である。
我々にその一歩を踏み出す覚悟があるだろうか?力があるだろうか?


ただ私は信じている。
日本がニュー・アトランティスを作り上げることが出来たという歴史的事実を以って、我々日本人が、周りの国々とは違う、新しい未来を結論を生み出せるスペックが存在していることを。


平和な日常は戻ってこない。
しかし、戻ってこないのならまた作れば良い。
我々の日常は、闘争と隣り合わせの、平和な日常を掴み取る日常と変わってしまった。


ここに宣言する。
日本は、3.11以降、日本人の日本人による日本人のための、そして新たなる世界への解を示すための闘争を開始しているのである。
我々の勝利を確信して。


2011年04月17日某所にて。