Twitterとは。その3

またペースが空いてしまった。私自身の力不足に正直愛想がつきつつも、アップしようと思う。


Twitter評価、第3部。
それでも、Twitterは日常を変えうる。という事についてである。
第2部でTwitterは世界を変えない理由について記述した。
これは多くの点で、実はネット全般に言えることではあったのだが、しかし、とりわけTwitterに関しては、情報ツールという点でしか世界に影響を与えることは無いのである。


ところが、世界を構成する要素のうち、唯一Twitterによって変えうるものがある。
それは、個人である。


Twitterを活用することによって、数多くの「普通に生活していたらたぶん会わなかったであろう人」と会話したり会ったりする事が出来るようになった。
私自身、Twitterを本気でやり始めて1年余り。
100人近くの人と会うことが出来た。


確かに、会うだけでは何も変わらないのかもしれない。
しかし、私は会うという関係性の数だけ可能性が生まれると信じている
どの様な可能性かはわからないし、それを活用するのも個々人の好きにしたら良いと思う。


それでも、私は、どれだけTwitterが世界を変え得ないとわかっていようとも、この部分に関しては可能性を最大限に感じる部分である。
普通では絶対に為しえない出会い、そして可能性。
その可能性を広げるためのツールとしてのTwitter
個人の時代・パーソナルの時代と評価されて久しい時代となった中で、このツールは素晴らしく時代に適したツールだと私は確信している。


私は、個人の時代とは、個人をコンテンツ化する事だと思っている。


Twitterの使い方は人それぞれだろう。
本当に多種多様な部分に入り込むことが出来る。
しかし、その反面、Twitterの利用者は、日本では約1%であることを忘れてはいけないとも思う。
そして、この1%という数字は、130万人という実数となった時、確かに世界を変えるには不十分な数字ではあるかもしれないが、個人を変えるには十分すぎる数字だと私は考えている。


そう、Twitterを使いこなすことは、この130万の可能性にアプローチをかけることに他ならない。


Twitterは何も変えないし、Twitterに意義はないと私は思う。
しかしながら、自分を変えるためのTwitterという存在は有だと私は確信している。




「世界を変えるのならば、まずは自分を変えろ」