先進国で繰り広げられている最大の「人道危機」について。

今回の原発事故に関しては私は人災であるという評価を下している。
そして、今この時点において、私は日本という先進国で繰り広げられているこの原発事故というのは、「先進国史上最悪の人道危機」なのではないか?ということである。


サスティナビリティという言葉がある。
開発や経済の文脈で使われる場合の定義は以下の通りである。
「将来世代が彼らのニーズを満たすための能力を損なうことなく、現在世代のニーズを満たすこと」
(Sustainable development is that which meets all the needs of the present without compromising the ability of future generations to meet their own needs.)
私はこれを、「将来の世代の全ての“権利”を損なうことなく、現在の世代の欲求を満たそうとする“責務”」と認識している。
そう、サスティナビリティとは、将来世代の「人道問題」だと思っている。


翻って、今回の原発事故は如何なるものか。
この事故によって、福島県はもう人が住めない土地となるかもしれない。
放射能の遺伝子汚染に関する研究は、人体実験を行えない結果として、どの様に発生していくのかは予想に任せるしかない。
果たしてこれは、将来世代に対する「人権侵害」ではないか?
少なくとも私は、将来世代の「生存権」の侵害をしているように思える。


しかも、当初から発言していたように、東電職員ならびに全ての国会議員、ならびに官僚を含めた国家公務員がベストの選択を行ってきたかという問題に関しては私は明らかにNoとしか言いようがない。
例えば、IAEAへの協力要請を5日間も引き伸ばした一例をとってみても明らかである。
また、閣議決定で「非常事態宣言」を出し、原発のオペレーション責任を内閣に移し、その後の行動は全て自衛隊とそれに準ずる部隊ならびに専門家以外は退避する等して情報ラインの集約化を図るべきではなかったかなど、明らかに後手後手に回っている様な状況を作り出している。
これは明らかにオペレーションの問題である。


地震が起きてしまった事や津波が起きてしまった事は当たり前だが、今回のような原発事故が起こってしまったことに関してはもう仕方ない。
なぜなら起きてしまった事だからである。
悔やんでしまっても、時間の針を巻き戻すことは出来ない。
よって、今後未来に向けて、1人でも被害を少なくするために何が出来るかを全世界的に考えていく必要があるのではないか。
私はこの部分に関して不十分であると主張する。


そして、不十分であるという事は、すなわち直接的に将来世代に対して「生存権の侵害」をしていると主張する。
原発事故に対して真剣に取り組まないという事は未来に対する冒涜である。
現在を生きている人間が持っている、唯一といっても良い最高に重い責任は、未来の基本的人権を保障していく事である。


この人権問題を如何解決していくのか?と共に、私は、今回の対応を行っている全ての責任者に対して、「人権侵害をしている」と主張することは全く以って正当性があると確信している。
我々はとりわけ大人と呼ばれる人間たちは、将来・未来に対して責任を持っているはずだ。
その将来・未来、生まれてくる人々の「生存権」を損ねては決してならない。
我々がここに生きているのは、紛いなりにも昔の世代がずっと我々の「生存権」を侵す事無く、守ってきてくれたからに他ならないのだから。