本棚が電子書籍によって破壊されたら

幼いころ、子供のころ、本棚がある家に生まれていただろうか。
私の祖父は非常に本をたくさん持っていた。
それこそ2階建ての一軒屋に所狭しと本棚があった。本が積まれていた。
離れの天井裏も誰も入れなく程本が大量に置いてあった。
祖父が亡くなってから15年間が過ぎて、祖父の家からはほとんど本がなくなってしまった。


その本を見ながら私は小学生ながらに「この本を全部読めたらカッコいいだろうな」と思ったことがあるのを覚えている。
実際には今から40年も50年も前の本なので、少し近代仮名遣いであった本も多く、当時では読む事がほとんど出来ないような本ばかりであったのも覚えている。
その現実は圧倒的で、それを読んでいる祖父はなんてすごいんだろうと心から憧れた事がある。


私は本が好きだ。本棚が好きだ。
それは、その幼いころの憧れを思い出すからかもしれないし、単純に本が並んでいる状態が好きなのかもしれない。
それでも、私は本棚が好きだ。


この頃何かと話題の電子書籍
世界が100%電子書籍に変わってしまったら。本棚の存在価値がなくなってしまう。
本棚は、国公立の図書館だけが持つ、不思議な存在となり果てるかもしれない。
電子書籍の極端な推進者はその様に発言しているようだ。


本棚が消えた世界とは、私にとっては憧れが1つ消えた世界と等しいだろう。
それは少しさみしい。


本が電子書籍リーダーの中に全部入っている世界とはそういう世界なのだろう。
この本棚が消えてしまった世界を哀しいと思う人がいる限り、100%電子書籍になる事は無いだろう。
おそらく、私が生きている間にその様な現象が起こる事は無いのだろう。