数字における人為的作用を深く考えてみる。

数字は嘘をつかない・解釈の必要性はないと思っている人が多いのではないだろうか?
福島の原発事故を見ているといつもそんな事を思う。
というのも、数字の部分で多くの場合議論になるからだ。


多くの点においてマスメディアや情報を公開している機関によって、数値がたくさん記載されている。
その上で、その際の条件とその数字が意味するところが必ず書いてある。
それを書かない限りはその数字は意味をなさない。
前述にある「人為的作用」である。数字は人為的作用の塊だ。
その人為的な部分を説明できない限り、その数字に意味はない。
例えば、1000という数字があったとする。
この後に人為的作用としてmm・cm・m・kmをつける。
すると1000という数字が意味する長さが変わる。
これは何を意味しているのか?
意味する上で重要なのは、1000という数字よりもmmやcmといった単位が重要なのであるという事だ。
他にも人為的作用として様々な説明がなされる。
この様々な説明、すなわち人為的作用としての数値という点は極めて重要な視点となる。


例えばこの夏に電力が足りないのか足りているのかという議論は盛んに行われている。
この件について公的な電力関係の資料を読む限りは「足りていない」という結論を出している。
つまり公的には足りていないのである。
しかし、足りていると主張する人も多い。
この議論を聞いているとそもそも「足りている足りていない」の定義(人為的作用)が異なっている事がわかる。


「電力の供給予備力(reserve margin)」および「電力の供給信頼度(supply reliability)」という言葉はご存じだろうか?
まず、前者に関しては「安定して供給するためには、想定される需要以上の供給力を持つことが必要であり、この時の供給力から需要を差し引いたもの」としている。
(電気工業データベースより 引用Webページ http://www.power-academy.jp/db/glossary/id/522 )
後者に関しては「電源の供給信頼度は通常、見込不足日数で表し」ているとしている。
(電気工業データベースより 引用Webページ http://www.power-academy.jp/db/glossary/id/515 )


つまり、電力が足りているか足りていないかを議論する上では、この「電力の供給予備力」を議論しなければならないのである。
そして、その上で数値的には「電力の供給信頼度」を見なければならないのである。
ちなみに、現在信頼度は「0.3日/月を目標」としている。
この目標数値が0.3日を超えた時点で、「日本の国家目標」としては「電力供給は足りない」と報道されることになる。
その上で、この数値が達成される「電力の供給予備力の供給予備率」は「大体8〜10%に相当する」としており、供給率に換算すると108%以下の場合は「足りない」と報道するという決まりがあるのだ。
すなわち何が言いたいかというと、電力供給が「100%〜108%」となる場合は「仮に停電しなくとも電気が足りない」と報道する事になる。
「停電しなくても(電気が足りていても)電気が足りない」と報告する事に関して誰もが疑問を持つと思うがそういう事なのである。
これも、「その様に報道しなさい」とされている人為的作用が為せる技なのだ。


この事からも数字と人為的作用が密接にかかわる事が良くわかるのではないだろうか。