情報アクセスのコストカット。

情報とは何であろうか?
情報社会と言われ、莫大な情報を我々は浴び続けている。
その中で我々は何を手にしたのだろうか?


情報社会において最も変化したのは間違いなく手に入れることが出来る情報量である。
例えば、毎日電車の中で何もしていなかった人が携帯電話でYahoo!ニュースを読む。
例えば、年に1冊の本でしか手に入らない著名な方々の書くコラムがちょっとした検索で毎日読む事が出来る。
例えば、図書館に行き様々な本に触れなければ手に入らなかった必要な情報が、今や検索で引っこ抜くことが出来る。


良く考えてみると、我々は、情報を増やしたのではなく、情報のアクセスにかかるコストを最低限まで減少させている事がわかってくる。
Amazonで本を買うとき、我々は本屋に行く時間やその本を探す時間、またその本がもし最初の本屋になかった時の次の本屋に行く時間などを全てカットできる。
情報社会における最大のメリットは情報アクセスに対するコストカットである事はコトラーの言葉を借りずとも間違いない事だろう。


そうしたコストカットの余剰を以て我々は何を手に入れたのであろうか?
それは、更なる情報であった。
更なる情報を追い求めて、情報アクセスのコストダウンを行ったのである。
その結果、情報商売であったプロフェッショナル、所謂コンサルタント業は苦境に追いやられている。
5年前3年前の理論はこの情報社会においては全くの無力である。
何故なら、そのコンサルタントが持っている情報は検索で見つけることが出来るからである。


そうした中で、我々は情報を得るだけではどうしようもない事にも気が付いている。
情報を取捨選択しなければならない。
例えば、Googleで洗濯機を買う事にしたとしよう。
しかし、その「洗濯機」をキーワードに入れて検索をかけると、膨大すぎて何が何だかよくわからない量の情報が見つかるだろう。
情報を持っていても、また情報にアクセスできても、それ自体には全く価値がないのである。
正確にいえば、その膨大な情報の中から何を「選択するか」が重要なのである。


しかし、この「選択」という概念においては当初から果てしなく言われてきているが、その効用を正しく理解している人はまだまだ少ないように感じる。