思考法の研究

私がこうして書いている事は何なのだろうか?
この事は定期的に問う必要がある。
何故私はこれを書いているのか。
書いている事は何なのか。
それは何を変えるのか。
その結果どうなっていくのか。


絶えず問う必要がある。
それは、書いている事だけではない。
行動もまたそうである。
こうして行動している事は何なのだろうか?と定期的に問わなければならない。


最初に考えていた事とはズレているかもしれない。
そもそも何でこれをやっているのかわからないのかもしれない。
それは全く以て正義に反する方法であり、誰かに対して本当に価値を与えているとは考えにくいだろう。
我々は何のためにやっているのか?という事を定期的に突き詰めて考える必要がある。


翻って、私のこのブログは何か?
それは思考法の研究である。
何故これを書き続けるのかと言えば、思考法を広げるためである。
哲学は思考法である。
個人の時代と言われて久しい現代では最も必要ではないだろうかと私は考えている。
ただ、少し問題なのは哲学は具体性に欠けるという事である。
思考訓練としては非常に素晴らしいツールなのだが、それだけではどうしようもない部分がある。
言うならば、実践的でないという事だ。


その非実践的な哲学に対し、実践を持ち込もうとしているのがこのブログである。
難解な部分も多いだろうと思うが、是非ここに書いてある一種の思考法を読んでほしい。
取り入れろとは言わない。読むだけで構わない。
その結果として、こういう考え方もあるのだなと知って欲しい。


たくさんの思考法の存在を知る。
そしてその思考法の存在性を認知する。
更に存在性が否定できない事を悟る。


この多数の思考法の並列こそが、今後の世界を考える上で非常に大事なのではないかと考えている。