信頼という言葉より。内向き。

現代において信頼という言葉は更に重要度を増しているのではなかろうか?
特にビジネスシーンにおいてはそう思う。


まず、日本企業において、その信頼性は著しく低下しているのではないか?と思うのである。
とりわけ、内部の。上司と部下の関係性である。
「3年で辞める新人」の例を出すまでもなく、多くの若い労働者が仕事を辞めている。
これを上司と部下の信頼性という言葉で説明してみよう。


部下が上司を信頼していないから部下が辞める。これは非常に想像しやすい。
当たり前だと多くの人が思うのではないだろうか?
その結果、多くの会社で様々な施策がとられている。
また、ドラッガーのマネジメント論が流行ったりするのも、そういう世論形成がなされているのではないか?と思う。


では次の理論は如何か?
部下に対して上司が部下を信頼していないから部下が辞める。
これは想像できるだろうか?


実はこれも当たり前の理論なのである。
上司が部下を信頼し、そして仕事を任せる。
これが無いと多くの部下はやる気や責任感を減退させていき、最後には会社というコミュニティを維持するという点における連帯感すら失わせ、結果として辞めるのだ。
これを言うと多くの人々はこう反論するのである。
「まだまだひよっ子に大事な仕事が任せられるか」
「何も成し遂げたこともない人間に何が出来るのか」
「大きなことをやるためには小さなことからしなければならないのだ」


上司が部下をマネジメントする上で極めて大事なことがある。
それは、部下の能力に合わせて仕事を切り取るというものである。
そのためにはどんな能力を部下が持っているのかをしっかり掴んでおく必要がある。
では、部下の能力を正確に測るためには如何すればいいのだろうか?
最も簡単なものは、何かを成し遂げさせれば良いのである。


結局のところ、実は部下を信頼して仕事をさせる事が出来ない人間とは、部下の能力を正確に理解していない人間なのである。
その人間が果たして正確なマネジメントが出来るのだろうか?私はそうは思わない。
信頼関係の多くは、上のモノが下のモノを信頼し、下のモノが上のモノから信頼されていると感じた瞬間に構築される。
始まりは実は、下のモノの信頼ではなく上のモノの信頼なのだ。
これを忘れてはならない。


何かを変えたければ上からなのだ。
下から変わるというのは革命でしかない。
それは、上のモノが生きる道ではない。
革命が起これば上のモノは死ぬしかない。


人を信頼する能力が欠如している。
信頼とはそれほど大事なものであり、それほど今の日本、とりわけ企業内部で失われてしまったものなのである。