哲学よ、今一度。時代の寵児たれ。

少し時間が空いてしまった。今日は哲学について少し論じようと思う。


近年、哲学は物凄い勢いで廃れていっている。もはや、風前の灯といっても良い。
現代における、哲学を語る人間の多くが、哲学とは一見あまり関係がない研究などに従事している。
これは大きく分けて2点の理由が考えられる。
1つが「哲学の研究だけでは食べていけなくなった」という事。
これに関しては近代から続く大学という学問分類において、今まで哲学のみを研究してきた人間が非常に少ない点から考えるに容易に想像できる。
ただ、近年、理系の学問分野が主領域の人々が哲学の再考をしている点は注目すべき事である。
2つ目にこちらの方が重要なのだが「哲学のイメージの悪化」という問題がある。
中世・近世において哲学とは最高の学問領域の1つであり、研究者たるもの目指すべき登竜門のように捉えられていた。よって、多くの研究者により、多くの議論に時間を費やしたのである。
しかし、その緻密さ・正確さ故に、一般人にとって哲学は、最も難しい学問≒もっとも理解不能な学問と認知され始めた。
さらに、時代が下るにつれ、議論が更に深まり、難しさが増していくだけでなく現実世界からも乖離しているのではないかというイメージが先行し、その崇高なるイメージは悪化していく。
更に、近代中期以降、大学が社会的ステータスとして一般的に認知され始め、大学入学・進学の門戸が開放され始めると、現実を動かす学問としての実学(主に理系科目や経済・法・経営等)が社会的に歓迎される傾向が生まれる。
すると、現実から乖離したと思われていた、「現実を分析する学問」としての哲学はより廃れていく事になる。


この様に、哲学が衰退していくのは時代の必然であるかのようである。
しかし、果たして哲学は無用の長物であるのだろうか。
哲学には、他の学問では難しい事をいとも簡単にやり遂げてしまう力がある。
それは学際化である。
近年、細分化されすぎてしまった学問や新たな学問領域の中で、1つの見地からでは答えにたどり着かないようなものが、様々な場面で様々な形で見られるようになってきた。
そうした中で、新たなアプローチ方法を生み出したり、議論形式・方針を検討したりする事に長けている哲学は、必ずや、重宝されるのではないか。


元来、哲学とは“真理”を研究対象としてきた学問である。
複雑な議論・学際的な話に筋道をつくり、その道を舗装ずる。
哲学的見地、哲学的背景などの再考は新たなる時代を生み出す羅針盤となる。
そのために、哲学は今まで生き延びてきたのである。


「哲学よ。光たれ。」