「同意」と「理解」と「納得」と。

我々が議論等をする際に用いられる言葉として「同意」と「理解」と「納得」がある。
この言葉たちの関係性について少し注目したい。
Aという人間がBという人間の意見に対して「同意」「理解」「納得」のそれぞれを行ったという仮定で注目していこう。


まずは、「同意」である。
AがBの意見に「同意」した。
この場合、AはBの意見の「何」に同意したのだろうか?それは結論に「同意」したのである。
つまり、Bの意見の中身にはあまり注目していないで、その意見から生まれてくる結論に対して「同意」するのである。


次に、「理解」である。
AがBの意見を「理解」した。
この場合、AはBの意見の「何」を理解したのだろうか?それは中身を「理解」したのである。
つまり、Bの意見から生まれてくる結論に対しての態度表明ではなく、Bの意見の中身を「理解」するのである。


そして、「納得」である。
AがBの意見に「納得」した。
この場合、AはBの意見の「何」を納得したのだろうか?それは、中身とそこから生まれてくる結論に「納得」したのである。
つまり、Bの意見の中身と結論に「納得」するのである。


さて、ここからが重要だ。この3つの言葉の同じ部分を詳しく見ていこう。
この3つの言葉で最も重要なのは、Aはどの場合も「自分の意見を表明した」事にはなっていないという点である。つまり、3つの言葉全てが「受身」の言葉なのである。
この態度が日本の議論には非常に重要となる。
多くの場面において「相手に理解してもらう」や「相手を納得させる」等と言った発言が頻繁に使われる。また、自らの意見表明のように「君の意見は理解したよ」とか「君の意見には大いに同意だ」という発言も散見する。
これらの発言を持って議論を終了するもしくは、これらの発言が議論の目的地点となる事が極めて多い。


しかし、本来の議論においてはここがスタート地点となる。
何故なら、先ほどの問題だとAの意見をBは知らないのだ。Aは単純にBの意見に対して何らかの態度表明をしたに過ぎない。という事は、当然BはAの意見を聞いたりそれに対して何らかの態度表明をしなければならないだろう。
更に、「同意」「理解」「納得」は態度表明に過ぎないのでそこから始まる本当の議論、すなわち「両方が得をする結論」を導き出す必要がある。
本来、議論とは「両方が得をする結論を導き出す」“コミュニケーションシステム”なのだ。ここを忘れてはいけない。


日本人の議論下手は昔からの笑い話だ。では、どうすれば議論が上手になるのか?
それにはこの議論というものが一種の“コミュニケーションシステム”であり、それが「何を目的としているのか?」という点について明確でなければならない。
コミュニケーションの結論は「相互理解」や「同意」等ではない。他者との「合意形成」こそが真の結論であろう。
この様な真劇なコミュニケーションに我々は晒されているだろうか?
今後、この様な態度・視点はより一層重要なものになるだろう。
もしかしたら、大人のビジネススキルとなるかもしれない。


「落としどころを一緒に探す事が議論。最初からわかっているならやる必要はない」