日本の行方。その1。(原発事故から

福祉までの原発事故の処理が長引いている。
もはや2ヶ月以上たった今も、不安定な状態が続いている。


1号機は、もはや手がつけられない状態になっており、刻々と状況が変化しているような状況であるし、2・3号機は収まってはいるものの予断を許さない状況、4号機は水棺状態ではあるものの、徐々にその建屋自体が傾いていっているのではないか?等々、無残な状況である。
多くの人が国や東電を非難している。当然であろう。
更に、日本国外からも非難の声が上がってきている。これも当然である。


私は、この問題は「人道危機である」と説いた。
その気持ちは今も変わっていない。
しかも、このまま収束しないのであれば、今度は未来だけではなく現在世代に対する人権冒涜であろう。
何よりも、「生存権」が脅かされている。
政治家や官僚・東電役員たちは自分たちが何をしているのか理解できないのではないか?と私は思っている。
何故、自分達が生きている時に、こんな事故が起こってしまったのか?
あと3年もすれば定年だったのに。。。そんな風に思っているかもしれない。
無理も無い、それほどに未曾有の大災害である。
今までのマニュアル等一切通用しない事態の中で、その決定に対する責任は極めて重い。
しかし、決定しないという決定すらも重い。


原発に関してこれほどまでにフットワークが重い理由は、もはや皆様もご存知だろう。
数多くの非公開・公開の場で散々議論されてきた、「安全であるのだから、何か問題が起こるなどという想定をすることがナンセンスである」という態度こそが最も問題であるのだ。
この話を聞いていて、いつも日本とはなんと責任の取り方・リスクに対する考え方が稚拙なのだろう。
そういえば、太平洋戦争にて、勇将と言われ未だに賞賛される山本五十六は、こう言ったのだった。
「我が海軍に至りましては、会戦の折は2年ほどなら大暴れして見せましょう」と。
勇将の誉れ高き、山本五十六ですら、2年後以降の戦場の状況に対する責任を回避したのである。
日本人は責任が取れない民族なのだろうか。


私は、この問題を見ながら多くの点で太平洋戦争のときの状況とダブらせてしまう。
終戦後、60年以上が経ちながらも、我々日本人は、決定的に戦後処理を見送ってきたのである。
物質的な部分に関しては、確かに戦後は終わっていたのだろう。
しかし、本質的な部分では、日本はこの約65年間、一歩も進んでこなかったのである。
原発に対する情報隠蔽は、正に太平洋戦争中の「我が軍の損害は極めて軽微であり・・・」というラジオ放送の如くだし、東電の免責への執念は、天皇体制堅持を推し進めた戦犯政治家たちと何が違っているのだろうか?
しかも、「神の声」などという政治家まで現れる始末である。
そういえば、太平洋戦争の最終兵器は「カミカゼ」であった。


我々は岐路に立たされている。
政治だけではない、経済や社会、文化・教育。
ありとあらゆるところで、膿が溜まり続け、関節の節々は悲鳴を上げているかのようだ。
このまま、ゆっくりと死を座して待つのか?
それとも、痛みに耐えて外科手術に踏み切るのか?


だが、私はこの様な2項対立的思考および選択を否定する。
本来、医術とは西洋医術と東洋医術があり、我々日本人には東洋医術が相応しいと前々から思っている。
東洋医術とは、様々な方法を用い(主に体温調整と血行促進)体本来の免疫力を向上させることで、回復させるというものであり、西洋医学が持つ「悪いところは切り取ってしまえば良い」というモノではない。
私は、今の日本で外科手術をすると、明らかに今まで培ってきたものが、全て崩れ落ちると思っている。


では、どうするのか?
外国の力に頼らない、日本の力で復活を遂げるしかない。
明治維新のときには、確かに西洋の発想が輸入された。
しかし、それだけではなかった。
例えば、植木枝盛の名を挙げるだけでも、彼が考えていた準共産思想は、西洋的なモノとは明らかに性質を異にしていた。


我々は我々の手で復活させなければならない。
戦後、精神的な発達が無かった理由は、我々の手ではなく、アメリカの手によって復興を遂げたからではなかったか?
日本独自の思考・思想が必要なのではないだろうか?
様々な議論を見るにつけて、私は常々そう思うのである。 (続