世界を変えるとは何を意味するのか

そもそも、世界を変えるとはいったいどのような事を意味しているのだろうか?
私は世界を変える事とイノベーションを起こすことはかなり重複している部分があるが、完全に重なっている部分はないと考えている。
ここでは、Artは個人が世界に対する挑戦であり、その挑戦自体が世界を変える行動であると前項で書いているので、その個人に注目してみよう。


ドラッガーを紐解くと、19世紀最大のイノベータ―はナイチンゲールであると答えている。
ナイチンゲールとは世界において看護婦という職を作り上げた偉大なる人物である。
なぜ彼女がイノベーターなのであろうか?ドラッガーは何をもってイノベーションと言っているのだろうか?
私は世界を変える事に対して最も重要なことは「現在無価値であるモノの価値を世界に認めさせる事である」としている。
その視点からすると、このドラッガーの指摘は至極当然のように思えてくる。


古代から医療の場では、医者という専門家が従事しており、それを支えたりそれ以外の知識が医療に必要であるという発想は存在しなかったという。
それは19世紀のクリミア戦争においてまで続いていたのである。
つまり、医療の現場では「医療の専門知識を持たない看護という存在は無価値である」とされていたのだ。
しかし、ナイチンゲールはその価値観に対し、類稀なる才能による成果と、それを説明する必要性から「医療に統計学」を用いて、その必要性を説いたのである。
すなわちナイチンゲールの行った行動は「無価値であるとされていた医療現場における医療補助の専門である看護に価値を付与する」行動であると言える。
その結果、彼女は正に医療という世界を「変革」し、看護という新しい価値を「創造」したのである。
真に、医療におけるイノベーションを達成したのであった。


彼女の行動とその結果は正に、私が発言している「世界を変える」を達成しているのである。
そう、「無意味なモノが有意味として世界に迎えられる」事が「世界が変わった」事を端的に証明しているのだ。


つまり、世界を変えるモノとは根源的に「現在無意味なモノ」でなければならないのである。
そう考えていくと世界を変えうる可能性や要素を持っているモノをピックアップすることが出来る。


●若者
彼らは世界で多くの場合、決定権や権力を持たない無意味なモノたちである。
貧困層
彼らは多くの場合、購買力や発言力を持たない無意味なモノたちである。
●個人
圧倒的な数の他者によって形作られている世界に対して、一塊の個など無意味なモノである。
●飽和状態の市場に対する新商品
これ以上モノを所有して人は幸せになれるのだろうか?
etc...
少し考えただけでも多くのモノが上がってくる。
それらは、現状の世界に対しては全く以て「無価値」である。
その「無価値さ」故に世界を変革することが出来る。


世界を変えるのは個人だとよく言われている。
それは「世界に対して自分が有意味である事をアピールする」事がそもそも「世界を変革しうる方法の最も代表的な行動」であり、その結果「有意味であると世界に受け入れられた」時に、「世界の変革が達成」されるのである。
その個人がそれを望もうと望まないとである。


文化人類学者マーガレット・ミードの言葉を引用する。


「思いやりがあり、行動力のある人々は、たとえ少人数でも世界を変えられる――それを決して疑ってはなりません。実際、それだけがこれまで世界を変えてきたのですから。」